はじめに——病気の始まりは、治療の始まり

語音導覽

新型コロナウイルス(COVID-19)の流行後、私たちは発熱、咳、筋肉痛などのよく見られる症状に対し、より敏感になりました。ほんの小さな兆候が世界的なパンデミックにつながり、病気は個人単位だけではなく、世界全体にも影響を及ぼします。

台湾は、亜熱帯に位置し、高温多湿の気候にあります。17世紀、郁永河が台湾へ採掘に渡ったときは「この地の土や水は、人を害する」と言われ、19世紀以降、台湾の植民者も厄介な風土病の問題に直面しました。1895年、日本軍が台湾を接収する際には、約半数の兵士がマラリアやコレラなどの感染症に感染し、台湾は「瘴気(熱病を起こさせる山川の悪気や毒気)の地」と呼ばれました。そのため、日本の植民支配者たちは西洋の学説を導入し、衛生を名目とした一連の公共建設事業が始まりました。

文学は、病気を隠喩として表現することで、身体的苦痛を描写するだけでなく、社会的な圧迫も描き出します。文学はまた、患者自身が病気がもたらす苦しみを書き留めることで、疾患に対する偏見や誤解に立ち向かう勇気を与えます。さらに、患者や高齢者の家族、介護士、医療従事者などが病気という荒波の中で、互いにぶつかり合い、すり合わせていく過程を記録するのです。

かつて台湾に存在した病気の多くは、衛生状況の改善により姿を消しましたが、いまだ身近に残っているものもあります。病気と人との関係は文学に細かく描かれ、医療を超えた癒しとして、書くことは私たちに病気の治療に向かい合う勇気を与えてくれます。

-
図説1:展示会の実際の様子

図説2:夏本.奇伯愛雅(Syapen Jipeaya)「ヤミ族の医療文化」
夏本.奇伯愛雅(Syapen Jipeaya)、漢名:周宗経(1946‐)は、「ヤミ族の医療文化」の中で、代々受け継がれてきたタオ族(ヤミ族の別称)の治療方法を記録し、その方法を薬物療法、精神療法、姿勢療法、自然療法の4つのカテゴリーに分類した。

図説3:許成章『台湾語の本字(伝統的に使用されてきた文字)での表記法について:人に関する語彙』
許成章(1912-1999)は、人に関連する台湾語の語彙を記録した文章中の「病気と痛み」編に、幼児の栄養失調症、女性の子宮腫瘤と肺疾患の症状を記録した。また、一般的な誤用を指摘して正しい解釈を加えた。

社会の病は、集団で協力して癒す

語音導覽

感染症は、台湾の歴史において絶えず発生してきました。西洋の医学知識が宣教師とともに伝わり、日本統治政府が近代的な衛生対策を推進するようになると、民間療法と現代知識の衝突が作家たちの作品に現れはじめ、病気がもたらす混乱や言われなき差別が明らかになっていきました。このコーナーでは、貧困、隔離、恐怖、抑圧という4つのテーマから出発し、文学における伝染病のイメージを探ります。

-
図説1:展示会の実際の様子
このエリアでは、大型の透明なインスタレーションが身体的な相互体験へと導きます。観客は、装置内を自由に貫通することができ、さまざまな大きさの黒いボール、灰色のボール、透明なウィルスのボールやカーテンは病状を表現し、ウィルスと生活の曖昧な境界を示しています。インスタレーションには、病気によって隔離された人々の心の声を再生するデジタルマルチメディア装置が組み込まれています。

図説2:AR写真

図説3:楊逵(ようき)『無医村』
楊逵(1906-1985)の『無医村』は、医師がとある患者の診察にあたる話を描いている。患者は、金銭的な理由から医者にかかることができず、薬草の乱用によって治療のタイミングを逃し、医師は死亡証明書を書くためだけに駆け付ける形になってしまった。楊逵は、この作品で、政府が一般市民をないがしろにしていること、そして貧富の格差の現象を批判した。

図説4:『台湾警察時報』第273号8月号:衛生特集号
日本統治時代の台湾社会における結核、花柳病(性感染症)、ハンセン病などの衛生問題を記録し、またアヘン中毒の問題にも焦点を当てている。その内容から、当時の日本統治時代の警察制度と公衆衛生の緊密な協力がうかがえる。

抑圧は、一種の感染病でしょうか?

語音導覽

性感染症とは淋菌感染症・梅毒・尖圭コンジローマなど、性行為によって伝染する疾患を指します。性感染症は、性と病の両方に関係があり、性感染症患者はしばしば「放蕩」「不潔」など負の形容詞が冠されました。また、性と関係するため、道徳的な批判を受けやすい性質があります。同様の理由から、性感染症は女性の苦難の象徴となり、父権の抑圧に対する隠喩となっています。そして、さまざまな文学作品の中で、性感染症は、植民地支配された苦しみの象徴にまで発展しています。

-
図説1:展示会の実際の様子

図説2:『戒嫖歌』
『戒嫖歌』は、日本統治時代の作品で、張雲山人が作詞、井田一郎が編曲、純純が歌唱を担当した。その歌詞は、世間の男性に美しい女性の虜にならないこと、相手はお金のためだけであるから、梅毒や淋菌感染症に感染しないよう戒める内容になっている。

心にある病は、書くことで治癒する

語音導覽

文学における狂気の人物は、現実世界の不条理や抑圧を見抜くことが多く、文学の中の憂鬱は、人生の意義に対する探究や世間にあって孤独を感じることから生じます。狂気や憂鬱の探究を通して、文学は、正常と異常の間の曖昧な領域を開く機会を与えます。

精神的な問題が身体的な表現や行動に現れ、嘲笑や汚名、侮辱などの攻撃にさらされたとき、文学は、精神疾患の患者が自分自身の体験や感情を書くことで、患者同士が互いに癒す手段となります。

-
図説1:展示会の実際の様子
このエリアでは、打ち割られた鏡によって患者の内面状態を表現し、文章を書くこと、読むことを通じて苦境を解き、修復する道を歩むことを示しています。

図説2:「脳内のうわごとへの旅」
没入体験エリア「脳内のうわごとへの旅」では、多重スクリーン、音効、プロジェクターを用いて、患者の複雑な脳内世界を投影します。

図説3:AR写真

図説4:張文環『閹鶏』
張文環(1909-1978)の『閹鶏』は、経済的理由で阿勇と結婚した月理が、婚家が没落し、夫が病気で痴呆になった後、孤立無援となり、自分の望む生活を追求しようとしたが、最後には世論の圧力に敗れ、恋人と心中する様子を描いた。

図説5:施叔青『微醺彩妝』
施叔青(1945-)の『微醺彩妝』は、台湾の90年代末期の高度経済成長によってもたらされた社会の奇異な現象や混乱を描いている。小説の主人公である呂之翔は、味覚や嗅覚を失ったために診察を受けるが、後に台湾全土に広がったワインブームを引き起こす。

図説6:媽祖第三巻第三冊(第十五冊)
1937年発行、西川満(1908‐1999)『劉夫人の秘密』収録。錬金術を追求する青年が恐ろしい事件に巻き込まれ、狂人と見なされて精神病院に送られるが、死ぬ前に自分が正気であった証拠を書き記したという話が精神病院施設の蔡院長の口述によって伝えられる。

集団的トラウマは、集団で癒す

語音導覽

トラウマとは、心に一時的に強い衝撃を受け、消し去ることのできない傷跡を残すことを指します。

天災、工場事故、戦争、白色テロ(二・二八事件以降の政治的弾圧)など、日常生活が突然壊されるような大きな出来事は、家屋や身体を破壊するだけでなく、心身にも深い傷跡を残します。文学は、被害の現場を探索し、被害者に共感することで、事件を経験していない人々にも、歴史の現場に近づく機会を与えます。

-
図説1、2:展示会の実際の様子
このエリアには、象徴的な2つの空間デザインが設置されています。右側は、時代性のある物品と崩れ落ちた高層ビルの窓貼りで構成され、天災後の人々の強靭な生命力を表しています。左側は、当時の社会状況を再現したファイルキャビネット、ファイル、戒厳令時代の禁書などの物品からなり、作家が自らの拘禁体験を描いた物語を再生する多重メディア音声装置が設置されています。

図説3:AR写真

図説4:林亨泰『余震』
林亨泰(1924-)は、生き残った人々が今も続く余震に直面する様子を描いた。彼らは、無言の苦しみに沈む一方で、不安に駆られ、いつ突然すべてを失ってしまうかもしれないと恐れている。災害はまだ終わっていないからである。

図説5:林建隆「労働災害写真展」―『芒(ススキ)の春』
林建隆(1956-)の父親はかつて炭鉱労働者であり、炭鉱事故で片手を失った過去をもつ。この詩は、「労働災害写真展」というタイトルで、台湾の経済に対する労働者たちの寄与は簡単な方法では計りきれないこと、そして彼らが資本主義制度の下で、政府により法的に搾取され、さらには人々からの軽蔑を受ける存在になったことを伝えている。

図説6:杜潘芳格「平安戯」
「平安戯」は、客家の村の住民たちが秋の収穫を祝い、神様に感謝するために行われる、特定の神を祀るための「酬神戯」(戯曲)である。杜潘芳格(1927-2016)は、平安戯を見ている人々を、権威主義体制時代の台湾人に例え、生き残るために「平安人」として、従順で忍耐強くあるしかなかったと表現した。

ゆっくり進行する病は、ゆっくりと治療することが必要

語音導覽

慢性病や癌といった病気の中には、生活習慣に深くかかわりがあることから、根治が難しく、コントロールするしかないものもあります。それらの病気は、患者の未来に多くの不確定性をもたらします。文学は、迷いや不安、痛みや苦しみ、そして病を受け入れる決心を文字に刻みます。葛藤の過程を書き留め、闘病生活の思いを共有することで、文学は、病気を乗り越える良きパートナーとなるのです。

-
図説1:展示会の実際の様子
このエリアでは、慢性病や癌を長時間降り続く雨に例えています。文学が患者に傘をさし向け、安心して雨をしのげる場所を提供し、患者の不安や怒りを和らげます。5名の作家により、病気に向き合ってきた過程、生命の体験を語る様子が大型テレビで再生されています。

図説2:AR写真

図説3:黄柏軒『腎友川柳』
黄柏軒(1983-)は38歳の時、末期の腎不全が判明し、それから人工透析の生活が始まった。日本の川柳に倣った短い詩の形式の『腎友川柳』で闘病生活の日常を記録した。扉ページとに作者サインがある。展示品は、作者による提供。

図説4:葉炳輝、「妙生医院」の治療箋(明治45年)
明治45年、葉炳輝(1907-1968)(筆名:葉歩月)が経営していた「妙生医院」が発行した治療箋で、患者の名前、診療科目、予約番号、診察日などが記載されている。

図説5:劉俠『杏林小記』
『杏林小記』は、劉俠(1942-2003、筆名:杏林子)が関節リュウマチの痛みに立ち向かった治療の過程を記録している。手稿からは、手が不自由でも執筆を続ける作者の意思が感じられ、日常の些細なことを通じて、自身が病魔と闘う中で感じた思いを引き出し、生きることへの励ましの言葉を綴った。

時間がもたらす病気は、看護によって癒す

語音導覽

病気や老化は、誰もが避けて通ることはできません。

高齢化社会においては、介護者の役割がますます重要になってきており、医療業界で働く看護師、介護を担当する家族や外国人介護者などは、病人や高齢者が人生を共に過ごす重要なパートナーです。

文学は、介護者が心の内側でたどる感情や思考の変化を探求し、家族の歴史を深く掘り下げ、親子関係を振り返るだけではなく、それらの背景に隠れている社会的な構造の不備や圧迫などにも言及します。

-
図説1:展示会の実際の様子
「由疒自由」(「疒から自由になる」)と題したエリアでは、観客が毛糸を手に取り、病気に関する漢字の部首「疒(やまいだれ)」内の糸かけ板鉛筆装置に巻きつけます。絡み合う糸から生命の複雑さを再考し、新しい気づきをもたらします。

図説2:AR写真

図説3:林亨泰の年間スケジュール手帳
林亨泰(1924-)が2014年、生活の中で起きた細かい出来事を文学館の手帳に記録したもので、毎月の診察記録や薬の受領証なども残っている。また合間には、日本統治時代以降に患った各種の病気についても回想し、病気との共存の歩みを見ることができる。林亨泰の家族による提供。

図説4:龍瑛宗の車いす
龍瑛宗(1911-1999)は、晩年に妻と次男の劉知甫氏同行のもと、中国を旅行した。この車いすは、龍瑛宗の晩年の生活を支えただけでなく、父子の情愛を見守った。

図説5:李喬『Vと身体』
李喬(1924-)の『Vと身体』は、主人公である何碧生の「私」(V)と臓器との物語を描いている。明朝体、楷書、隷書の3つの書体がそれぞれV、各臓器、全知視点を表し、3者の対話を通じて、台湾の近代史の発展を表現した。

おわりに——自ら望んで病気になる人はいない

語音導覽

人はいつか病気になるものであり、病歴は、人生に突然訪れた衝撃を記録する、私たちの人生の年表のようなものです。文学は生命のすべてを記しながら、長い夜にやさしく寄り添い、私たちがよりよい明日にたどり着くよう共に歩んでくれます。

文学の中には、病気のさまざまな顔が収められています。私たちは、病気について書くことで癒しを得ると同時に、迷いや不安を感じるとき、文学から心身の安らぎを得ているのです。

-
図説1:展示会の実際の様子

図説2:「好好療(しっかり癒す)」シェアスペース
このエリアは、読書と癒しのグッズ体験を提供するスペースです。作家・何景窗が書いた文字「好好療(しっかり癒す)」がテーマとなっています。疾病に関連した文学の本が棚に置かれ、手に取って自由に読めるほか、横の白い展示ケースには、植物やアロマ、デスクライトなどのグッズが並んでいます。

図説3:AR写真

図説4:蔡培火『四門観感 生老病死』
蔡培火(1889-1983)は、宗教的な観点から生・老・病・死を見て、自身の仏教への悟りを記録した。文中では、生・老・病・死をめぐる十二因縁を紹介し、求道者が十二因縁から集諦(苦の原因は愛執の念である)、さらに苦諦(この世界は苦しみを本質としている)を理解してはじめて輪廻から解脱できることを説明している。

此為預覽畫面