柯旗化故居 音声ガイド (JP)

はじめに

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皆さん、こんにちは。柯旗化故居へようこそ。柯旗化と言えば、どんなことが頭に浮かびますか。
たいていの人は『新英文法』という英語の参考書を思い出すでしょう。1950年~60年代の高校生にとって、『新英文法』は英語の勉強に欠かせない参考書で、ほとんどの生徒が1冊持っていました。政治的に安定した平和な時代だったなら、柯旗化も文法学者として一生を過ごしたのかもしれません。しかし、白色テロの時代を生きた柯旗化は、当時の若く有望な知識人らと同様に、これといった理由もなく政治の暗部に巻き込まれ、無残にも過酷な境遇に突き落とされたのです。

しかし、柯旗化の志はそこで怯んだり、消え去ったりはしませんでした。出獄後は民主化運動に加わり、台湾独自文化の宣揚に全力を注ぎました。傑出した英語教師だった柯旗化は、英文法の専門家だっただけでなく、民主化運動の勇敢な闘士の一人でもあったのです。

突然の災難に見舞われた柯旗化と家族は、苦難に満ちた歳月を送りました。この建物は白色テロの時代に政治犯とされた受難者と、その家族が織り成した歴史とや文化の証でもあります。これからこの建物の中に入り、柯旗化ゆかりの品々や手紙、暮らしぶりの様子などの展示を通して、柯旗化の生涯を振り返ります。柯旗化とその家族が経験した様々な出来事がおわかりいただけるでしょう。

故居の建物とその歴史

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この建物の外観は1960年代の様式で、立面のラインはごくシンプルです。4階建てで、1階に柯旗化が立ち上げた出版社があり、2階と3階は柯旗化と家族の居住空間でした。4階は子どもたちが卓球をしたり、鉢植えを置いたりしていた場所ですが、後にプレハブ倉庫が増築され、電動巻き上げ機も設置されて、大量の書籍の搬送に使われました。

どうして柯旗化は出版社を作ったのでしょうか。学校で英語を教えるだけでなく、自宅の1階でも学習塾を始めたからです。開塾に向けて塾生を募集したところ、100人近い生徒から申込みがあり、大盛況でした。その後、学習塾で使用した教材をまとめ、英語の参考書として出版したら、保護者や生徒たちに大好評で、瞬く間に売り切れました。そこで、出版事業をスムーズに行うために、第一出版社を作ることにしたのです。出版社が順調に業績を伸ばしていた頃、柯旗化は逮捕され、投獄されてしまいましたが、出版社の経営はそのまま継続されました。

出獄後、柯旗化は第一出版社の事業により台湾文化を世に広め、雑誌も創刊しました。現在も第一出版社は営業を続けています。1958年に設立されてから今日(こんにち)まで、すでに60年を超える歳月が流れました。

柯旗化の生命の物語は、台湾の民主化運動が活発化し、人権意識が高まる中で、前人が払った犠牲の大きさを私たちに教えてくれます。そのため、2004年、高雄市政府はこの建物を歴史的建築物に指定し、柯旗化の台湾民主化と台湾文化への貢献を記念することにしたのです。

柯先生の生い立ち

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柯旗化は1929年に生まれました。父は台南の善化出身、母は高雄の旗山出身でした。柯旗化の名前は、両親の出身地から1字ずつ取って、「旗化」と名付けられたのです。息子が自分たちの故郷を忘れないようにと願ったのでしょうか。郷土愛を象徴するエピソードです。

幼い頃から成績優秀だった柯旗化は、左営公学校を首席で卒業し、高雄中学にも合格しました。当時の高雄中学は日本人の生徒が多く、台湾人はごく少数だったので、台湾人が高雄中学に合格するのはかなり難しいことでした。

柯旗化の家庭は貧しく、大学進学は不可能でした。そこで、柯旗化は公費で通える師範学院受験を父親に懇願したのです。師範学院は現在の国立台湾師範大学です。そして、ついに努力が実り、第一志望の英文科に合格しました。柯旗化は読書が何よりも好きで、師範学院在学中も歴史や哲学、精神分析など、大量の書籍を読んで視野を広げました。

大学卒業後は英語教師になり、熱心に授業に取り組みました。故郷の高雄に戻って教育者となった柯旗化は、旗山中学や高雄市立第一中学、高雄市立女子中学、高雄中学で英語教師を務めたほか、高い英語力が評価され、米軍顧問団の通訳も務めました。今、私たちは客間にいます。高く大きな本棚に柯旗化の蔵書がぎっしりと並んでいます。ひたすら学問に励んだ柯旗化の姿が想像できますね。

二二八事件と名誉回復

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二二八事件が勃発した際、柯旗化は台湾の政治状況が大きく変化したことに、悲しみと強い憤りを感じました。もともと物静かで控え目な性格だった柯旗化は、同級生に連座して逮捕され、尋問(じんもん)されることになるとは、想像すらしていませんでした。

1951年7月31日の深夜、特務員は柯旗化の家で『唯物弁証法』という本を見つけました。柯旗化にとって「唯物弁証法」は哲学思想の一種でしかなく、マルクス主義を支持しているわけではありませんでした。しかし、どんなに説明しても全く聞き入れてもらえず、思想犯の罪を着せられた柯旗化は緑島に移送され、思想改造を受けたのです。これが1度目の逮捕でした。

1961年10月4日の午後、国民政府は叛乱罪で再び柯旗化を逮捕しました。柯旗化は服を着る間もなく、突然ジープに押し込まれたそうです。柯旗化の名前は「国旗を変える」という意味に無理やり曲解されたのです。この時の監禁生活は15年にもの長きに及び、心身ともにひどい苦痛を味わい、生涯を通して忘れることのできない悪夢となったのです。出獄して帰宅してからも、睡眠中に恐怖にかられて飛び起きることが多く、もがき苦しんだそうです。

晩年、柯旗化は自伝を書き上げました。今生(こんじょう)でやりたい事は全てやり尽くしたかのように、「やるべきことはもう全部やった」と言ったそうです。その後、柯旗化の言動に異常が見られるようになり、最終的にアルツハイマー病と診断されました。2000年、高雄地方法院は柯旗化が無実の罪で逮捕されたことを認めました。病床にあった柯旗化はついに名誉回復を果たしたのです。

パパはアメリカにいる

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柯旗化が逮捕されてから、夫人の柯蔡阿李は子どもたちに影響がないようにと、「パパはアメリカにいる」とだけ、子どもたちに伝えました。クリスマスシーズンには舶来品を買いに行き、柯旗化が外国から送ってきたプレゼントのように見せかけたのです。それだけではありません。柯夫人は普段から子どもたちと『モンテ・クリスト伯』や『レ・ミゼラブル』などの名作小説について語り合い、投獄された人たちが皆、悪いことをしたわけでなないと、子どもたちに教えたのです。

子どもたちも大きくなると、父親が長期間家にいないことに疑念を抱くようになりました。長男の柯志明は何か変だと思いながらも、母親にあれこれ聞けずにいました。娘の柯潔芳は父が手紙を出した場所はアメリカではなく、台東であることに気が付きました。もうこれ以上、事実を隠し通すことはできないと思った柯夫人は、判決書を取り出して父親が今どこにいるかを、子どもたちに教えたのです。そして、判決書に書いてあることの多くが捏造で、台湾を愛する柯旗化が国を裏切ることは絶対にないと説明しました。そのため、子どもたちはその後もずっと心の中で父親を深く尊敬していました。

獄中の柯旗化にとっては、妻が送ってくれる手紙と写真だけが、子どもたちの成長を知る唯一の手段でした。逮捕から十数年後、ついに監獄で初めて子どもたちと顔を合わせることができました。幼かった柯志明が立派な青年に成長しているのを見た柯旗化は、ただただ感無量でした。しかし、父と子の間にはなんの隔たりも感じられず、話が弾んだそうです。

こちらは柯一家の居住空間でした。たくさんの蔵書が見られるだけでなく、柯夫人と長男の柯志明さんが、「パパはアメリカにいる」という思い出を語るインタビューがヘッドホンでお聞きになれます。

柯先生と夫人

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柯旗化と柯夫人は友人の紹介で知り合いました。当時、柯旗化はすでに一度感化訓練に送られ、緑島での服役から戻って来たところでした。しかし、柯夫人は全く気にせず、この人は何一つ悪いことなどしていないと思っていました。母親は反対しましたが、柯旗化を生涯の伴侶とする決意は変わりませんでした。今、皆さんがいらっしゃるのは、ここに引っ越してきた二人が寝室に使った部屋です。

結婚後は三人の子どもたちが次々に誕生し、二人とも忙しい日々を送っていました。結婚してから6年後にまた逮捕されるとは、予想だにしませんでした。幸せな日々は突然終わりを告げたのです。

まだ幼い三人の子どもを抱えた柯夫人は、大きな悲しみを胸の中にしまい込み、夫が逮捕された衝撃で病に倒れた身体に鞭を打ち、今後の生活にしっかりと向き合いました。

柯夫人は自分の仕事だけでなく、子どもたちの世話と出版社の経営もしなければなりませんでした。忙しい合間を縫って、柯旗化のためにいろいろな本や栄養食品、食べ物などを送りました。小包の中には夫人の愛情もいっぱいに詰まっていたのです。毎週欠かさなかった手紙のやり取りが二人の心のより所でした。その後、柯旗化の刑期が不当に延長されたため、柯夫人は当時の行政院長─蒋経国氏に陳情の手紙を差し出し、自らの命を担保に柯旗化の釈放を願ったのです。

柯旗化と夫人は、揺らぐことのない気持ちが支えあう力となり、人生の荒波を乗り越えたのです。

執筆活動

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詩人の陳恵馨は柯旗化の物語を元に1篇の詩を書きました。そのタイトルは「新英文法」です。「…彼の名前は権威の隊列の中で跳躍し、押しつぶされた文法は文法にならず、プロフェッショナルな精神で心の痛みに抵抗する…」その詩にはこう書かれています。これらの言葉に柯旗化の境遇がよく表現されています。

柯旗化の書斎で、その著作者としての人生を振り返ってみましょう。英語参考書の出版が柯旗化の生涯をかけた仕事でした。『新英文法』はもう何度も版を重ねていましたが、柯旗化はそれでもまだ不足があると思い、資源もなく、環境も劣悪な監獄で、『新英文法』の増補改訂版を必至の努力で完成させたのです。それと同時に、「南国の故郷」と「忘れがたい一曲」という小説も書き上げました。この2篇の小説の主人公には柯旗化自身が投影されています。例えば、ひたすらに故郷を思う「南国の故郷」の主人公は、獄中の柯旗化の気持ちを映し出しているかのようです。

長男の柯志明によると、柯旗化は教師、文法学者という呼称のほか、一番好きだったのが詩人、文学者と呼ばれることだったそうです。出獄後、柯旗化は自身の境遇に感じるものがあり、短いけれど表現力のある詩は隠喩もできるので、詩を書き始めました。柯旗化の詩は郷土愛と政治批判が特徴的です。その中で最も重要な代表作とされるのが「母親の悲願」という作品です。この詩は二二八事件の銃撃で命を落とした先輩余仁徳を記念した作品です。

民主化運動の軌跡

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1979年に高雄で勃発した「美麗島事件」は、台湾の民主化運動史上、非常に重要な政治的事件です。柯旗化も美麗島事件に影響され、台湾の民主化と台湾文化の発揚を推進する仕事に、積極的に取り組むようになりました。各書店に問い合わせて、台湾文化に関連のある書籍の目録を取り寄せ、『台湾文化図書目録』を編纂し、各界の研究者や社会人に研究資料として提供しました。当時は、台湾文化に関する本を買うなら第一出版社に行くべきだと、誰もが知っていました。

1986年、柯旗化は『台湾文化』という雑誌を創刊しました。この雑誌には、人権や政治、文化などをテーマとした記事が掲載されていました。そのほかに台湾語コラムの連載もあり、台湾語普及への努力が見て取れます。しかし、一部の記事が政府を批判し、台湾独立を鼓舞しているとみなされて発行禁止処分を受け、最終的には廃刊に追い込まれました。

柯旗化は町中の社会運動にも参加したり、骨太の力強い評論を発表したりするなど、政治改革への期待を表明しました。柯旗化が切望した理想的な社会は、「美麗島の春」という自作の詩に書いてあります。

「…台湾文化の根が、故郷の大地に深く張るように
民主化の声を、歓びが満ちる山河の隅々まで巡らせよう
この時から誰もが自由で、この時から誰もが平等で
この時から台湾は調和と友愛の美麗島となる。」

本日の参観は如何でしたでしょうか。台湾の民主化には数々の苦難があったことが、おわかりいただけたのではないでしょうか。皆さんも柯旗化故居の公式FBをフォローなさってください。柯先生の人物像や台湾民主化運動についての感想を語り合いましょう。帰宅されてからも人権問題に関心を持ち続けてください。今よりもっと素敵になれる台湾を、皆で力を合わせて守っていかなければなりません。

ガイドはここで終了となります。ご来訪ありがとうございました。

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