葉石涛文学記念館

当館の概要

当館は昭和年間に創建された山林事務所であり、林産物の育成と管理を役目としていましたが、今は台南市の指定古跡に指定されています。
東側は旧台南州庁、北側には図書館がありますが、これら建物の囲いにより自然と中庭を成しています。 庭には緑が生い茂り、数本の高木が植えられ、そのうちの二本は三階建ほどの高い南洋杉で、1951年に植えられたと言われ、長年の風雨に耐えてきましたが、「夫妻樹」と地元で呼ばれています。建物は床が人造石の洗い出しで、それと赤煉瓦の壁及び屋根から全体を構成します。
葉石濤文学記念館は臺灣文学の第一人者であった葉石濤氏を記念するため2012年にオープンし、館内には葉氏の生涯と文学創作及び身の回り品を展示。一階には葉氏の文学創作が展示され、好きな一冊で文学の世界を楽しめます。二階には葉氏の所蔵した本及び使っていた身の回り品など、それに彼の生涯における重要な経歴、インタービュービデオと個展の史料なども展示されています。  
葉氏の文学的な世界観をより広く認識するため、中国語と台湾語はもちろん,英語と日本語での音声ガイドも完備しますので、是非お気軽にご利用ください。

臺灣文学の使徒・葉石濤

「吾々の様な作家は強いて言っても使徒に過ぎないが、後世のために臺灣文学の礎を築いておく使徒です」 葉石濤が鍾肇政に送った私信より。
戦前戦後との政局の変遷に伴い、国語も変らざるを得なくて、白色恐怖との大獄事件を経験した後、葉氏はロマンチックで早熟な名門少年から、臺灣文学の模範を確立する文学の使徒へと一変しました。

葉石濤年譜

このエリアには、葉石濤氏の年譜と身の回り品など(レプリカ)を展示し、これらを通じ、葉氏の生涯における重要な経歴及びその心境を汲み取ることが可能になります。  

【展示品】 

葉石濤氏の台南州立台南第二中学校卒業証書
葉石濤氏が台湾省保安司令部判決書を写したもの。
葉石濤氏が書いた〈孤独の作家・孤高の文学評論舞鶴「拾骨」〉の書評の原稿。

葉石濤と音楽

葉氏は中学校に通っていた時期、日本人の先生に家まで招かれ、レコードを聴いた事があります。 それをきっかけに、フランス、フィンランド及び日本の音楽などに触れることが出来、次第に薫陶を受け始めました。
音楽を楽しめる作家には、感情の起伏及び人間性の変化を的確に捉える傾向があります。 故に、書かれた文章は流れる水の様な、多様性に富むリズミカルなものになる、と葉氏はそう考えました。
2001年、葉氏は莊紫蓉女史の取材を受け、自分のクロード・アシル・ドビュッシーの音楽に対する愛を次のように述べました。
「ドビュッシーの音楽は印象派の範疇に属し、不調和音(ディソナンス)がその特徴と感じおり、ちょうど御神楽の和声法も不調和音が多用されますので、ドビュッシーの音楽を聴くたび、いつも御神楽にも思いを馳せました」と。

自分と戦う、寂しげな作家―葉石濤氏の独占インタービュー
http://www.twcenter.org.tw/thematic_series/character_series/taiwan_litterateur_interview/b01_13101/b01_13101_1_

葉石濤氏はレコードで音楽鑑賞するだけでなく、ピアノ弾くのも堪能でした。ドビュッシーの《月の光 (Clair de lune)》、ベートーベンの《月光》、及びフランスの作曲家のガブリエル・フォーレの《マスクとベルガマスク》の第六曲《月の光》も演奏することが出来ます。

【音楽鑑賞ガイド】
本エリアにはヘッドフォンが2セット設置され、下記の楽曲を繰り返し再生します。
★クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)、1862/8/22-1918/3/25
※名前は生後1890年(28歳)まで「アシル=クロード」、1890年(28歳)から「クロード=アシル」である

《月の光 (Clair de lune)》

この曲はクロード・アシル・ドビュッシーの曲の中で最もポピュラーな曲の一つで、《ベルガマスク組曲》の第三小曲として、フランスの象徴派の詩人のポール・ヴェルレーヌの詩からインスピレーションを受け、創作されました。

ドビュッシーは幼少期から印象派に触れ始め、ジュール・マスネなどの作曲家の先輩たちが作り上げたフランスの伝統音楽の影響を受け、東洋音楽とスペインの舞踊音楽とジャズのそれぞれの長所を取り入れ、印象派ならではの手法を自らの音楽創作に活かし、独特な和声法を生み出し、それ以降の作曲家たちにも大きな影響を及ぼしました。
代表的な作品として、管絃楽曲の《交響詩『海』(La Mer) - 1903年 - 1905年》と《牧神の午後への前奏曲 (Prélude à l'Après-midi d'un faune) - 1892年 - 1894年》、ピアノ曲の《ベガマスク組曲(Suite Bergamasque) - 1890年》、《版画 (Estampes) - 1903年》及び《映像 第1集 (Images) - 1905年》と《映像 第2集 - 1907年》などが挙げられます。 
オペラの《ペレアスとメリザンド》の創作に際し、生涯のクライマックスを迎えました。
ドビュッシー氏の逸話につき
ドビュッシー氏は日本の浮世絵師の葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》が大変気に入り、この版画を自宅に飾りますが、1905年に管絃楽曲の《交響詩『海』(La Mer)》の楽譜出版の際、表紙に《浪裏》の部分図が採用されました。

作家の条件

葉石濤氏にとって、立派な作家とは、どんな条件を揃えなければならないの?

「作家には、作家ならではの「作家の目」を持たなければならない、要するに世間のあらゆる物事をしっかりと観察し、思いやる能力を持たなければ。」 〈作家の条件〉より

「立派な作家は、自分の作品は世間に役立てることを確信したうえ、倦ず撓まずに粘り強く書き続け、時世と世相を反映できるようにせねばならない。」 〈論呉濁流《舞台裏の支配者》〉より
    
「作家は時代のバロメーターでなければならない。」〈論呉濁流《舞台裏の支配者》〉より 

「作家としての粘り強さ、世間を思いやる心構え、磨きに磨いた文章力。」〈論呉濁流《舞台裏の支配者》〉より

「文学の道は常にいばらの道であり、もし作家が思索や挑戦をせずに、自己満足の泥沼に陥ってしまったら、もはや作家失格だ。」 〈呉老を偲ぶ〉より
     
「郷土の住民らの人間性を見出し、そこに共通する普遍的な価値を汲み取り、理想なヒューマニズムに貢献することが出来て、はじめて真の偉大な作家が誕生。」 〈鍾理和評論〉より

「誠実さは作家として持つべき姿勢であり、誠実であってこそ、時世や社会の偏見に惑わされずに、真理や現実を的確に捉え、憚りもせずに、世相を忠実に映せます。」〈《キャンパスのヤシの木》評〉より

「作家が当代の人々の生活を如実に描こうとするなら、博識で鋭敏な感覚を持ち、人々の行動を潜在意識から捉えたり説明したりする能力が不可欠であります。」〈《黄娟の世界》〉より

「深刻なトラウマが長年の抑圧でより悪化しかねないが、いつかその傷が爆発し、人を狂い破滅に至らせたり、憂えて意気消沈した一生を送らされたりすることもあり得ます。トラウマ自体を文学創作への情熱の元に変えることでしか、作家は自分の限界を超え、解放的になれることが出来ないのです。」〈《李喬の二冊の本を評す》より〉

葉石濤短編小説文学賞

当代臺灣文学の第一人者であった葉石濤氏の功績を記念するため、台南市政府文化局は2021年に、葉石濤氏の名前を冠した、「第一回葉石濤短編小説文学賞」を開設。
葉石濤氏は生涯、多くの短編小説を創作されました故、短編小説の王様と称されました。 これらの短編小説を通じ、彼の台湾での暮らしを物語り、その中、台南の風景、人物及び事績に関するものがなんと120編もあるとの点から見ると、台南は故郷というだけでなく、彼の文学創作の揺りかごでもあります。 故郷台南の重要性、及び葉氏に与えた影響深さはこの辺ではっきり伺えます。
台湾在住の文学創作者が葉氏の目指した臺灣文学のあるべき姿を見習い、継承するよう、短編小説の形で自らの物語を作って頂くことが「第一回葉石濤短編小説文学賞」開催の真の狙いです。 本文学賞はそれなりの歴史的位置づけがある、と審査員たちは考えますので、応募作品にもそれ相応の独特性が求められましたが、残念ながら、期待に応えられるものが無く、初回の文学賞は受賞者無しに終りました。
一方、土地を無くして文学も育まない、と葉氏が生涯追及した臺灣文学のあるべき姿や精神を後世に残し、その珠玉の短編小説や臺灣文学における立派な功績をより広く認識されたり、臺灣を題材にした自らの文学創作ができるようと後進を励ましたりすることを目指して、「第一回葉石濤短編小説文学賞」のトロフィーを当館に置き、葉氏なりの臺灣文学精神をアピールします。

葉石濤短編小説文学賞トロフィー

当トロフィーは地元台南の優れた芸術家の蘇小夢女史に設計と製作を依頼したデリケートなもので、葉氏の「臺灣文学評論」に登場した「夢食い獣」を全体のコンセプトとし、台座には土地をイメージした石材が使われましたが、葉石濤氏の苗字の「石」に巧みに繋がりますとともに、文学は土地から育まれるとの事を伝えております。 台座の題字は臺灣文学のベテラン研究者である張良澤氏に揮毫して頂きました。
トロフィー自体は赤銅製の「曲がったリベットで固定された鉄の花窓」及び「縦横に行き来する道」を主な構造とし、臺灣の都市風景及び文化的な風情を表現。  表彰バッジは銀の素材に伝統的な金銀の糸細工が施され、植物、花及び蝶をモチーフにして作られましたが、文学者はこのような地道で苦難な道のりを歩んだうえ、成果が上がるとの事を伝えます。

「作家はもともと夢を食べ物にする獣のようなものですが、夢食い獣でさえもパンを食べなければ生きてはいけないことを知らず、況しても終日空想するだけでパンは得られないものだ。」 葉石濤より

ステンレス糸と銅線の織り込みで作られた「夢食い獣」は、その無限に伸びる複合体の形で、堆積された時間と作家の志から生まれる、文学創作の糧である夢を永久に求めることを表現しています。

受賞年表

受賞年表
1969年5月 第十回中国文芸協会文芸評論賞
1980年2月 第一回巫永福評論賞
1980年10月 連合報文学貢献賞
1987年 《台湾文芸史綱》が中国時報文化貢献賞
1989年8月 塩分地帯文芸営文学貢献賞
1990年 台南師範学院第三回優秀卒業生賞
1991年11月 台美基金会人文成就賞
1994年 第一回高雄県文学貢献賞
1995年 第一回府城文学貢献賞
1998年11月 真理大学「オックスフォード文学賞」
1999年4月 高雄市政府顧問
1999年11月 成功大学名誉文学博士
2000年5月 中国文芸協会名誉文芸表彰バッジ
2000年6月 高雄市文芸貢献賞
2000年12月 民国八十九年行政院文化賞
2001年9月 国家文芸基金会第五回国家文芸賞
2003年 真理大学台湾語文系客員教授
2004年5月 総統府国策顧問
2005年8月 財団法人文学台湾基金会第四回理事
2008年 台南市名誉市民市の鍵を受賞

短編小説の王様

短編小説の王様と称される葉石濤氏は、生涯150編以上もの短編小説を書かれました。このエリアにはそのうちの50編、さらに貴重な絶版小説集も展示されてますので、好きな一冊で葉氏の文学的な世界観を楽しみながら、一時のゆったりとしたくつろぎを得るのは如何でしょうか

公式サイトで詳細をご覧ください:
https://ystlmm-culture.tainan.gov.tw/tacha/index.php?m2=28

その他鑑賞:
葉石涛文学記念館のPodcastチャンネル [食夢之獣] EP.2葉石涛 文学著作
https://open.firstory.me/story/ckpgwgi6ylw4k0812waaqp8vn

葉石濤氏ゆかりのスポット

葉氏の作品に登場した府城台南のスポットは、大小規模問わず、少なくとも180箇所もあります。 孔子廟や赤崁樓などの名所のほか、豆油間(醤油蔵のこと)と番薯崎(日本統治時代の旧集落)などあまり知られていない場所もあります。 それに、打銀街、打石街など旧名を残した実在する場所と、葫蘆巷、蝴蝶巷、蝸牛巷など架空の場所も挙げられます。
ここで四つの観光ルートを紹介します。 それぞれ約三時間のコースとなりますが、虚実入り混じった葉氏の文学世界に登場したスポットを巡ったり、菜粽(ピーナッツ粽)とか米糕(おこわ)などのB級グルメを食べ歩いたりして、府城台南ならではの文学的な美しさを味わっていただきたい。

◆【浪漫の心】
葉石涛文学記念館→警察局→台南州廳→市議會→大正公園→消防署→銀座通→度小月→林百貨→観神善堂→打石街→台南郵便局本局→天公廟→草花街→鞋街→竹仔街→打銀街→魁儡巷→萬福庵→施家大厝→范進士街→外媽家→赤崁樓→石鐘臼→大天后宮→葫蘆巷→武廟→皇后劇院→蝸牛巷→祈福國小


◆【白い網】
葉石涛文学記念館→芒果林→下大道良皇宮→小西門→西門町→宮古座→蝴蝶巷→寶美樓→米街→五金行→冥紙店→大統街→寶公学校→大舞台→興南客運總站→普濟殿→佛頭港街→水仙宮→看西街教堂→牛磨後→豆油間→淺草鬧市→番薯港→盛場→運河→新町

◆【黒い光】
葉石涛文学記念館→孔子廟→末廣公学校(一)→忠烈祠→兵馬營街→大南門→末廣公学校(二)→台南州立第一高等女学校→自來水機構→台南州立第二高等女学校→延平郡王祠→喜鵲巷→順生医院→萬川餅舖→高砂町→公會堂→太平境教會

◆【夢食い獣】
葉石涛文学記念館→西來庵→城隍爺廟→辜婦媽廟→台南州知事官邸→耶穌学校→東門城→家政女中→竹園町→州立台南二中→火車站→中華日報→省立医院→七娘媽廟→聖惠牙科医院→葉石涛文学記念館

散策地図アクセス
https://www.google.com/maps/d/u/2/edit?mid=1E0mHme2DknqhiYm7Oi7j2DQhOB5yq7Pr&usp=sharing
現実と空想の混じりあった都市を散策・葉石濤氏の思う台南(フチェン)https://yehtainan.nmtl.gov.tw/#
葉石濤氏から見る台南とは?https://eyesonplace.net/2019/03/22/11140/

【散策地図のおみくじ】
目当てが多すぎて決められないなら、おみくじで今日の運勢を占うのは如何でしょうか。
籤を引き、示された番号に該当する引き出しからお神籤を引きます。

葉氏の宇宙

증강 현실(AR)

◆◆◆●●●【葉氏の宇宙】●●●◆◆◆

「短編小説の王」と呼ばれる葉氏は、小説で複数の宇宙や時空を構築しており、登場人物たちは時空のスターゲートのように、あなたが彼らの物語を読み、葉氏の文学世界に入るのを待っている。

その他閲覧:小說テキスト
https://culture.tainan.gov.tw/theme/form/index?Parser=2,47,314,297
葉石涛の小説における正体──小説創作を通じて個人的および歴史的な人生のジレンマを映し出す
https://content.teldap.tw/index/blog/?p=3430

葉氏の書斎

◆◆◆●●●【葉氏の書斎】●●●◆◆◆
葉氏の書斎を復元したもので、レコードプレーヤー、籐の椅子、シングルベッドとテレビ、膝の上に置いて執筆に使った碁盤、葉氏の蔵書などが展示されています。

その他鑑賞作品:葉石涛文学記念館Podcastチャンネル【夢を喰らう獣】EP.3葉石涛-文学の書斎https://open.firstory.me/story/ckpgwg4jplw360812117mn6co

その他鑑賞作品
陳令洋:ずっとそこにあるのに、存在感がない――籐の椅子とその葉石涛
https://www.tlvm.com.tw/Create/CreatePlatformCont?Createid=44

葉氏のスケッチ

◆◆◆●●●【葉氏のスケッチ】●●●◆◆◆

◆16歳のあなた、何をしているの?
少年の頃、葉石涛は文学作品を日本語で書いていました。
1940年、16歳の時に処女作「媽祖祭」を張文環編集の『台湾文学』に投稿し、佳作に入選したが発表されず、原稿は紛失しました。 (評論は1943年1月31日に『台湾文学』第3巻第1号に掲載された)。その後葉氏は作家の生涯を始めました。 17歳の時に小説《征台譚》を『文芸台湾』に投稿、19歳の時に小説「林君からの手紙」を発表し、雑誌『文芸台湾』(第5巻第6号)に掲載され、発表した「春怨」は、雑誌『文芸台湾』(第6巻第3号)に掲載されました。


◆この沈黙の時代に耳に轟くような言葉を書く
葉氏はかつて「白色テロ」で投獄されたことがあるが、それが後に自分の文体スタイルを変えることになるとは想像もしていませんでした。
1951年、ブッククラブに参加したことで通報され、5年の禁固刑を言い渡されます。1954年減刑され出獄しましたが、それ以来、葉氏の文体はより写実的なものとなり、社会主義的、人道的な思いやりのある精神で、弱者のために発言するようになりました。 このような刑務所での経験は、「獄中記」、「赤い靴」、「台湾人ジエン・アー・タオ」などの小説に記録されています。

◆半生をかけたこの春の夢は、この赤裸々な故郷に近づくためだけにある
1968年、44歳になった葉石涛は、初の小説集『葫蘆巷の春夢』を発表しました。この本は、台北の蘭開書房から初版し、鍾肇政さんから序文付きで出版され、 葉氏はこの『葫蘆巷の春夢』は1950年代の台湾社会の実情を反映していると述べています。この本の表題作「葫蘆巷の春夢」は、冒頭からこう述べています。「今日の葫蘆巷は実にがっかりするような場所だ。狭くて手入れの行き届いてない路地…隣接する家と人口が多いので、いたるところにゴミが捨てられ、詰まった側溝からは汚水があふれ、人々は居られるような清潔な場所を見つけることができない」現代化された都市の通りは、決して住みやすい場所ではなく、「一日中鼻につくような不快な悪臭が漂い、鼻を塞がずにはいられない」と書いています。2006年8月、最後の小説『葫蘆巷の春夢』が出版されました。 それから2年、最初の著書から40年後、葉石涛は高雄の栄民総合病院で亡くなりました。


その他映像:https://www.youtube.com/watch?v=kCCTPsCrG-U
葉氏生涯の年表:https://culture.tainan.gov.tw/theme/table/index?Parser=4,47,307,294
その他鑑賞作品:葉石涛文学記念館Podcastチャンネル【夢を喰らう獣】EP.1葉石涛-葉氏の生涯
https://open.firstory.me/story/ckpgwgys1lw6408129rq251lv

文学歴史家

◆◆◆●●●【文学歴史家】●●●◆◆◆
土地がなければ文学は成立しない。 郷土文学は "台湾中心 "であるべきだと提唱する男

1965年、葉石涛が『文星』97号に「台湾の郷土文学」と題した論文を発表し、日本統治時代の台湾における新しい文学者や作品に関する研究の波が押し寄せました。

1977年4月、雑誌『夏潮』に「台湾郷土文学史序説」を発表し、「台湾郷土文学は『台湾を中心』として書かれるべきだ」と主張しました。
この発言で彼を郷土文学論戦に巻き込まれ、台湾独立という分離主義的な思想を持っていると非難され、長年間、監視や差別を受けてきた葉氏は、ペンの戦争から離れ、執筆活動に専念することを選びました。
戒厳令な体制がまだ解除されておらず、「党派外」の組織すら設立されていない中で、このような非難を受けた彼が冒しているリスクと勇気は想像に難くありません。しかし、このような議論は、台湾文学の重要な指標となり、今後の台湾文学研究に大きな影響を与えました。

◆◆◆●●●このエリアに展示されている葉氏の海外翻訳作品●●●◆◆◆

◆『台湾文学史』(『台湾文学史綱』)
出版情報:東京:研究論文,2000
翻訳:中島利郎、澤井律之

◆대만문학사(『台湾文学史綱』)
出版情報:서울 : 바움커뮤니케이션,2013
翻訳:김상호(金尚浩)

◆Giấc mộng xuân trong ngõ Hồ Lô(『葫蘆巷春夢─葉石涛短篇小說』)
出版情報:Hà Nội: Nhà xuất bản Văn học, 2017

◆シラヤ族の末裔.潘銀花 :葉石涛短篇集(『西拉雅末裔潘銀花』)
出版情報:東京:研究論文,2014
翻訳:中島利郎、澤井律之

◆台湾男子簡阿淘
出版:法政大学出版局,2020
翻訳:西田勝

◆MIMPI BERAHI DI LORONG LABU《葫蘆巷春夢─葉石涛短篇小說》
出版:マレーシア,2019

悟りを開いた西川満先生

◆◆◆●●●【啓蒙の師 西川満先生】●●●◆◆◆

彼は、台湾の文学者である葉石涛に影響を与え、初期の台湾蔵書票収集の先駆者の一人であり、画家の宮田弥太郎氏や版画家の立石鉄臣氏と協力して、表紙のデザインや装丁の印刷を行い、「媽祖」「台湾物語」「華麗島」「文芸台湾」など、ごく少ない数で手作りの本を発行し、彼の強い郷土ロマンのカラーと台湾への独特の愛情を示しました。

『華麗島賛歌』、『呪』、『窈窕』は、西川氏が葉石涛に贈った本です。中でも『華麗島賛歌』は平成8年(1996年)9月9日、友人である画家の立石鉄臣氏を記念して出版された詩集で、立石鉄臣氏のイラストが掲載されています。

◆初対面
1943年、僅か18歳の葉石涛は、日本やフランスの文学に精通していたこともあり、「林君からの手紙」と題してロマンティックな文章を書き、西川満編集の『文芸台湾』に掲載され、正式に文壇入りを果たしました。その時に『文芸台湾』の編集助手にもなりました。
西川満との最初の出会いについて、葉氏は次のように書いています。「視界に入った彼は40代くらいで背が高く色白で、白いリネンのスーツを着た日本人作家で、フランスの詩人のような優雅さがあり、とても魅力的だった。 私が座ると、彼は私に優しく微笑んでくれた後、のんびりと『あなたは誰ですか?』と尋ねた。 私は赤面しながらも正直に名前を名乗った。 『私は西川です。あなたは葉石涛君だね! 4月号にあなたの小説「林君からの手紙」を掲載することにしました。まだあなたがこんなにお若いとは!17歳くらい? なんて美しい青年なんだ。」

◆飽くなき作家魂

葉石涛にとって、西川満には、作家としての持つべき基本的な条件が備わっていました。真面目に生き、質素な生活を送り、死ぬまでたゆまず書き続けることです。要するに、作家はヒューマニストでなければならず、献身的な貢献こそが作家の唯一の報酬なのです。
葉氏はこれを自分の生きる精神として一生貫き、日本語と台湾語と中国語の言語の壁を乗り越え、戦前戦後、白色テロ、貧困による離散を経験し、現実がどんなに圧迫されていても、葉氏はたゆまぬ執筆活動を続け、台湾文学の指標となりました。

◆◆◆●●●このエリアに展示されている葉氏と西川氏が交流した品物●●●◆◆◆
◆西川満が葉石涛に贈った詩集:
呪(ブックケースを含む)、窈窕(ブックケースを含む)、華麗島讚歌(ブックケースを含む)
◆葉石涛が西川満との知り合ったきっかけを述べる:
《口述歴史:台湾文学の長老--葉石涛先生の訪問記録》高雄市文献委員会より,2002

文壇の仲間

◆◆◆●●●【文壇の仲間】●●●◆◆◆
葉石涛の文学的地位を、文壇の巨匠たちが詳細を説明する

◆鍾肇政
「葉氏が台湾文壇の地位を簡単に一言でいうと、北鍾南葉、北鍾は私、南葉は葉氏だ」

小説家、客家人。 彼は日本統治時代の新竹(現在の龍潭、桃園)で生まれました。 台湾では台湾文学の母と言われており、頼和とは鏡のような存在です。また、台湾の文壇では、葉石涛と並んで「北の鍾と南の葉」と呼ばれている。 初の長編小説『魯冰花』は『聯合報』に掲載され、『濁流三部曲』『台湾人三部曲』は彼の代表作とされている。
オンライン鑑賞:https://www.youtube.com/watch?v=oX3aI3mAhW8

●張良澤
「葉氏の台湾郷土文学論を初めて読んだときから、私の頭の中はずっと渦巻いていました」

評論家であり、日本の関西大学で中国語の修士号を取得しています。台湾文学作家と史料の収集や整理に生涯力を注ぎ、台湾文学作家である吳濁流、鍾理和、王詩琅、吳新榮の作品集を編纂し、『西川満先生著作誌』や自伝『四十五自伝』、小説『生存の条件』などもも執筆しています。
オンライン鑑賞:https://www.youtube.com/watch?v=evK2A5wgi9o&t=3s

◆李喬
「一言で彼を表現するなら、彼は真の文学者である」 「この人こそが台湾文学の真骨頂だ」

苗栗出身の客家人作家で、第10回国家文芸賞の文学部門で受賞し、元総統府の国策顧問でもあります。創作傾向は「主に一般大衆の生活の描写に重点を置いた、悲惨な境遇にある人民の為のかすかな代弁」です。『寒夜』三部作は李喬氏自ら認める最も重要な作品であり、台湾の発展と歴史的な出来事を描き、民族の苦悩と人間の尊厳を浮き彫りにし、叙事詩的な雰囲気、母性愛の栄光と人々の土地への愛着を表現しています。
オンライン鑑賞:https://www.youtube.com/watch?v=dwMuQsgw5QY

◆彭瑞金
「台湾の文学は独自の道を歩むべきであり、台湾の文学は独自の方向性を追求すべきであると考えている。」

新竹出身の台湾の著名な文学評論家です。かつては『文学台湾』の編集長や、鍾理和文芸教育基金会の理事兼設立秘書長を務めていました。彼の文学史観は葉石涛の本土の写実的な立場を受け継ぎ、文学は社会や土地、人々から独立して存在することはできず、台湾の社会や人々の生活の現実を真摯に反映した作品のみが純粋な台湾文学の作品であると考えています。
オンライン鑑賞: https://www.youtube.com/watch?v=Qk1aafZSsfE&t=8s

葉氏の応接の間

◆◆◆●●●【葉氏の応接間】●●●◆◆◆
ここでは、葉氏の本に出てくる手作りのお菓子や料理に関する文章を取り上げ、お客様に楽しんでいただけるようにご用意しております。ぜひご覧いただき、交流をお楽しみください。

この展示室ではイベントや特別展が順次開催されますので是非お越しください。
スクリーンの横には、2012年に葉石涛文学記念館の開館を記念して画家の故陳国進が描いた未完成の油絵が展示されており、これは陳国進の生前最後の作品でもあります。 絵の中の葉氏は眼鏡をかけ、親切でフレンドリーに見え、まるで両手を広げて旧友を歓迎する為に、去らずにいるかのようです。彫刻、絵画、書道においても、文壇における葉氏の重要性だけでなく、世界中の人々が彼を懐かしむ心や敬意を示していることを表しています。
過去の特別展:
最後まで私と一緒に頑張りませんか? 南葉北鍾の手紙特別展
https://popworld.cc/guide/9688/preview

その他鑑賞作品:
葉石涛文学記念館Podcastチャンネル【夢を喰らう獣】https://open.firstory.me/user/ystlmm-culture

文学庭園

葉氏の文学庭園

불러오는 중...
미리보기 화면입니다