はじめに——出版という名の勇気(緣起——有一種勇氣叫出版)

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文学や思想は、人々の脳裏で静かに廻るものです。しかしこれが印刷技術を用いて「出版」されると、感情を高ぶらせ、共鳴を引き起こします。台湾の出版史には、数多くの伝説が記されてきました。独自に磨き上げる者、団結する者が、時には共に強権に立ち向かい、まさに経綸の才に富み、胆力と見識に満ちて世を渡る強者のようでした。

台湾の出版はいつから始まったのでしょう?初めは写本のみでしたが、清朝末期に木版印刷業者が出現し、さらに英国の長老教会が持ち込んできた活字印刷機などが出てきました。日本統治時代になると、活字印刷が普及し、出版物の市場が徐々に形成されました。しかし戦後の台湾の出版業は、長期にわたり政治的苦境に立ち向かわなければなりませんでした。新聞の文芸欄に想像力の種を密かに埋め込んだり、文学書籍に感情を潜ませたりしながら、ついに戒厳令解除を迎えることになります。飛躍的な進歩を遂げた印刷技術は、多元化、企業化、国際化への自由な彩りをもたらし、今日の台湾の出版技術はクラウドや画像といった分野へと進化を続け、我々も適応力と想像力が試される時期を迎えています。

抑圧から自由へ、台湾の出版史は実に大変な道のりを歩んできました。台湾の出版史に貢献してきた人々は、私欲を捨てて互いに助け合い、文字の存在のためだけに尽力してきました。そんな出版という名の勇気に敬意を表さずにはいられません。

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図説1:展示会の実際の様子。

図説2:江湖影(引)文
アクリル板に刻まれた「出版という名の勇気」の文字が壁に白黒で投影され、出版史初期らしい木版印刷の凹凸を表現しています。波模様は出版業のために人々が世間の波を渡り歩いた軌跡を意味します。

活字印刷と出版の誕生(活字印刷與出版的誕生)

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台湾初の活字印刷機は英国の長老教会によって持ち込まれ、その印刷物は教会信者の間で広まっていきました。日本統治時代、徐々に活字印刷の使用が広まり、台湾は現代印刷時代へと歩み始めました。字形の標準化により読みやすさが増し、書籍のコストも下がり、出版物の商品化により、多くの読者を培うことにつながりました。1930年代以前の台湾では、活字印刷自体は存在していましたが、現代の概念でいう「出版社」は多くありませんでした。台湾の読者が目にする書籍の多くは、東京や上海から輸入されたものでした。まず先に台湾人の一般読者が存在し、戦時下で思いがけず自主的に出版社が出現するという、まさに台湾特有の「植民地出版事情」と言えるでしょう。

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図説1:展示会の実際の様子。

図説2:Albion印刷機
1880年、キリスト教長老派教会医師ジェームズ・レイドロー・マックスウェル(James Laidlaw Maxwell)が英国から持ち込んだ、台湾初の活字印刷機で、現存する唯一の一台でもあります。バークレー牧師が設立した印刷機構「聚珍堂」と彼が発行した『台湾府城教会報』は、ローマ字表記を通じて人々の識字率を上げ、教育と情報の普及、さらには台湾人の印刷、出版そして自ら声を上げるという 使命をすべて担ってきました。

本印刷機は台湾基督長老教会本部、教会歴史委員会の提供によるもので、現在は国立科学工芸博物館にて修復保存されています。関連動画もぜひご覧ください:https://reurl.cc/j1N03y

図説3:呂赫若『清秋』 台北:清水書店
『清秋』は1944年、台北清水書店が刊行した日本統治時代の台湾人作家による初めての日本語純文学作品で、1941年から1943年までの呂赫若の主要作品「隣居」「柘榴」「財子寿」「合家平安」「廟庭」「月夜」「清秋」など計7篇を収録しています。

図説4:西川満『華麗島頌歌』 台北:日孝山房
『華麗島頌歌』は西川満が 自ら装丁した、500冊限定の出版作品です。1冊目から75冊目までが麗姫版、76冊目から500冊目までが公女版となっています 。麗姫版の表紙は青と黄色の二種類があり、本館所蔵の公女版は赤い仕様(ブックカバー内)になっています。本書は立石鐵臣が挿絵を手掛け、中身には西川満が台南開元寺で撮影した写真が入っており、彼の最も代表的な詩集です。

禁錮と解脱のシンフォニー(禁錮與掙脫的交響樂)

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第二次世界大戦終了後、台湾は新たな政権を迎えることになりました。30数年にわたる戒厳令の期間中、台湾の出版業は党国の干渉を完全には避けられなかったものの、作家や出版業者たちは注意深く対抗の芽を伸ばし、ささやかに静かな衝突を繰り広げていました。新聞の文芸欄、文芸雑誌のほか、人文テーマを専門とする出版社として「二大新聞」、「五小出版社」も存在し、文学出版物は様々なところで花開いていました。本土出版社の台頭、第一波の大規模な世代交代、改組、出走、新たな局面の創造などいずれも高度経済成長の1970、80年代に起こりました。

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図説1:展示会の実際の様子。

図説2:文字雲
雲に描かれた経緯度線は、鉛の活字の時代による応用の変化を表しています。豊かな文字表現に色の変化を加え、多元的な出版の歴史、当時の出版市場の活気や闇などを象徴しています。作品を読む過程で、人は自由に文字を組み合わせることができるのです。

図説3:王尚義『野鳩の黄昏』 台北:水牛
1966年、彭誠晃は同じ1937年生まれの高校時代の仲間7人と「水牛出版社」を創設しました。『野鳩の黄昏』は、水牛が頭角を現した代表作で、作者の王尚義は26才の若さで亡くなっています。本書はその遺稿を収録しており、当時の青年たちの苦悩が十分に映し出されています。水牛は文星書店と仙人掌出版社が経営終了した後の関連図書を引き継ぎ、台湾の文化思潮の広まりに深い影響を与えました。

図説4:林清玄等の記録「人生の新たな境地を切り開き、文学の大通りを突き進む──第一回時報文学賞審査会議記録」『中国時報』
1978年、第一回時報文学賞は5月9日より原稿募集を始め、8月15日を締め切り日とし、選抜小説717点、推薦小説50点、選抜報道文学180点、推薦報道文学44点の応募がありました。9月29日、忠孝東路の大陸レストランで審査会議が開かれ、社長の楊乃藩が主席を務め、執行秘書の高信疆が審査経過を報告し、その後審査が進められました。

改組と突破の新局面(重組與突破的新格局)

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戒厳令の解除により政治的タブーがなくなり、言論の自由度も増していくなか、台湾社会の開放化、教育改革、科学技術の発展などの要素が相まって、出版業の成長へとつながっていきました。著作権法が改定され、台湾は世界の出版業の軌道に乗ることができ、新たな販売ルートの拡張、メディアマーケティングの成長など、出版産業が積極的に開拓し、手仕事からグループ企業へと発展していきました。一方で、独立出版社も経営形式の一つとして成立し、最も低いコスト、最も高いクリエイティブ性で時代の変化に応えてきました。インターネットの発展とソーシャルメディアの台頭、読書デバイスの進化などが契機となり、出版業に新たな可能性をもたらしています。

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図説1:展示会の実際の様子。

図説2:『世間に文字在り 書展平面図』セット 

図説3:第四回台北国際書展記念蔵書票、1994年

図説4:楊逵「著作権を語る」手稿
楊逵は新聞で、小中学校の教科書に著作権は存在しないという記事を読み、「著作権を語る」と題して自らの考えを綴りました。この中で彼は、「著作権」と「版権」を区別し、さらに出版社側が作者の権益を侵害、剥奪する悪しき風習についても明るみに出しています。

あなた自身が出版社(你自己就是出版社)

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最悪の時代は、最高の時代になる。懐古すると同時に技術の進歩がもたらす未来に期待を募らせる。読者は作者であり、一人ひとりがセルフメディアです。そう、あなた自身が出版社なのです!さまざまな困難があったとしても、想像を止めなければ、出版には無限の可能性があるはずです。

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図説1、2:展示会の実際の様子。

図説3:AR写真

図説4:クラウド雲
透明度の高いエポキシ樹脂製で、中に印刷文字が浮いています。科学技術の進歩にともない、形ある印刷技術と機器が時と共にバーチャルのクラウドシステムへと進化した過程を表現した作品です。リセットされてもなお自由に満ち溢れています。出版の歴史はさまざまな媒体とともに変遷し、ここから新たな精神へと発展しています。出版の世界は、無限に広がる世界へこれからも伸び続けてゆくことでしょう。

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